Annales de l'Agregation de Langue

et de Culture Japonaises

- SESSION 2000 -

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Version  (12/04/2000):

Texte hors programme.
Duree de l'epreuve : 4 heures. Coefficient 3. (Texte d'Oe Kenzaburo.)

 
敬愛するテツオ・ナジタ

  あなたの明確な西方と東方の比較から、私はいつも学んできました。「君が代、日の丸」のシンボル操作や、歴史教科書の書きかえ戦略が、「西欧のまなざし」の延長上で、その焦点を、国家体制の内部から合わせ直したものだ、というお返事の指摘に共感します。
  それは近代化以来の日本が、「西欧のまなざし」に拘束されて、自立した発想をすることができずにきたことを言いあてています。日本人のナショナルな動きすらが - しばしば国家主義的なものになったのですが ー、じつはやはりそのまなざしに挑発されるものであったこも。
  これは個人の心理的な傷としてのモデルですが、痛ましく亡くなった保守派のオピニョン・リーダー江藤淳が、ある時期まで比較的伸びのびしていた国際派からナショナリストに旋回したのは、若い研究生として滞在したプリンストンで、同僚との交流の困難に苦しんだのがきっかけです。かれ自身、攻撃的な文章でそれを認めています。同じ例は、歴史教科書を作りかえる運動の組織者たちのうちにも見られます。
  私自身、苦しい経験にそくしてこれをいうのです。とくに私の場合、アカデミックな基盤をこなした上でアメリカへ行ったのではなく、毎日のように壁につきあたる思いをしたものです。しかし、私はそれにこりず、幾度も会議やセミナーに参加しました。あなたの国の大学人には、討論の容赦のなさと矛盾しない、聞き手としての忍耐強さがあります。私は自閉状態に追い込まれることはなく、感情的な動機の日本回帰にいたることもありませんでした。しだいに、あなたははじめ優れた友人たちをえることになったのでした。
  「西欧のまなざし」に追いたてられるようにして近代化が行われ - 急速にこれをなしえた能力は優れたものです ー、「外圧」によって国家内部の社会的条件が作り出されたこと ー これはおおむね不幸を生み出しました ー。それが一時的なものでなく、戦前、戦後を問わず続く常態であったことの奇妙さ。これらはあらためて私たちに意識化されねばなりません。
  そしてとくに知識人は、「西欧のまなざし」によりそうことを望むのでなく、あるいは同化したと信し込むのでなく、逆に、ナショナリズムの自衛装置に閉じこもるのでもない生き方を作らねばならないと思います。
  維新以来の百三十年、その初めと半ばに、日本人は二度にわたって、「西欧のまなざし」の徹底した物質化、制度化を経験しました。いまなお、とくに後者の余震から自由であるとはいえません。太平洋戦争時、熱中して議論された「近代の超克」も、数年前、とくに西欧派の日本知識人がこぞって参加したポスト・モダン論と並べてみると、露骨なほど「西欧のまなざし」によりそって同じ歌です。
  ナジタさん、この六月、私はあなたと巡り合った場所バークレイで、政治思想史家丸山真男を記念する講座の、最初の講演者をつとめました。来年度の担当者であるあなたに、丸山の次の一節は親しいことでしょう。
  「イデオロギー的にいっても、今後天皇や君が代や日の丸のシンボル価値がどんなに回復しようと、もはや戦前のような、「万国に冠たる国体」として現れることは不可能であろう。とすれば伝統的なシンボルをかつぎ出して、現在まだ無定形のままで分散している国民心情をこれに向かって再び集中させる努力が今後組織的に行われることがあっても、そこで動員されるナショナリズムはそれ自体独立の政治力にはなりえず、むしろヨリ上位の政治力 ー 恐らく国際的なそれ ー と結びつき、後者の一定の政治目的 ー たとえば冷戦の世界戦略 ー の手段として利用性をもつ限りにおいて存立を許されるのではないかと思われる。」
  これは占領下に書かれた文章です。しかし、たとえば冷戦の世界戦略というのを、唯一の超大国アメリカの世界戦略と置きかえれば、今日から明日への見通しとしても妥当ではないでしょうか。
  国際的に自立しているとはいえあに行動様式を固着させながら、「君が代、日の丸」のナショナリズムを義務教育によって浸透させようとしている現状に、私は近代化の出発点の危機感にも、敗戦時の危機そのものにも学ばなかった、グロテスクな日本人の自画像を見る思いです。
そういうきみは、しかし、日本人が自主性をかちとり、きみの国独自のスタイルでありながら国際社会でも頼りにされるという、進み方へのプランを持っているか?
  たとえばシカゴ大学での、生きいきしてかつ緊張した話し合いにおいてならば、私にそう問いかける人がいるでしょう。いまこの国にある「戦後民主主義」への拒否反応は行きわたっていないはずですから、私はポジチヴな批判を待ちながらであれ、次のように答える勇気を持つと思います。
  近代化の初めに福沢諭吉が望みをたくした、公の枠組みをみたすだけのものでない国民主権の成育。中江兆民の言葉でなら「恢復的な民権」が、近代化を方向転換した敗戦の焼け跡でも目指されました。
  しかし、それが達成されぬまま、あからさまに議会が無視された十五年後、丸山は反安保のデモに起死回生のしるしを見ました。一過性のものとみなされたその市民的高まりを、丸山は未来につなごうともしました。かれのほとんど最後の著作、『「文明論之概略」を読む』にそれはあきらかです。

大江健三郎、「未来に向けて ー 大江健三郎からテツオ・ナジタへ往復書門」、朝日新聞、1999112日。
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