Composition en langue japonaise (10/04/2000):
Composition en langue japonaise portant sur la creation litteraire et artistique
japonaise, les faits economiques, politiques et sociaux contemporains du
Japon ou dans leur perspective historique.
Duree de l'epreuve : 7 heures. Coefficient 4. (Texte de Tsuda Soukichi.)
Sujet :
津田左右吉「文学に現れたる我が国民思想の研究」の次の一節を注解してください。だから儒教の攻撃を生命としている国学者は大にこの新来の学説を喜び、服部中庸は地球円体説が支那人の宇宙観を覆したことをいい(三大考)、本居大平も蘭学によって儒教の謬妄が知られたのは神のみこころとして尊いことである、といっている(古学要)。しかし国学者の最も得意気であったのは、天文学を神代史の所説に附会することであって、中庸の三大考が(神道者の先蹤を追って)、その魁をなし、篤胤や隆正の徒が尾鰭をつけて盛んにそれをもてはやしたのである。佐藤信淵の天地鎔造化郁論、穂積重胤の古始大元図説も、似よった考である。この中で三大考は、地動説でも差支ないといいながら、必ずしもそれによらなかったのであるが、篤胤以下はみな地動説を採っている(地動説は寛政・文化ころには可なりに広く知られていたので、暦象新書にも説いている。本多利明の西域物語、司馬江漢の春波楼筆記、山片蟠桃の夢の代、などをも参照するがよい。)国学者のこれらの説は何等の学術的価値の無い架空の臆測であって、蟠桃が「其の智及ぶべし、其の愚及ぶべからず」(夢の代)といった三大考の批評が、すべてに当てはまる。精緻な学術的研究の結果をこんな荒唐不経の空想譚に取りなした点に於いて、国学者輩の頭脳の疎漫なことが知られ、当時の多数の日本人に科学的精神とその研究法との領解せられなかったことが推測せられる(地球の円体であるということを、支那の昔の空想的渾天説と同じように考えるもののあったのも、単に結論の類似しているのを見て、そこに到達した研究の径路と方法とを考えないからである。
津田左右吉、「文学に現れたる我が国民思想の研究」p. 439。