Annales de l'Agregation de Langue

et de Culture Japonaises

- SESSION 2000 -

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Traduction et analyse en francais d'un texte hors programme en japonais moderne (05/07/2000) :

Duree de la preparation : 3 heures. Duree de l'epreuve : 45 mn. Coefficient 4. (Texte d'OOOKA Makoto sur la "societe de l'information".

Texte :

  情報化社会の「情報」は「コトバ」なのだろうか。もちろんしかり。しかし最少の時間で最大多数の人に同一の情報が伝達されることが情報化社会の基本条件であるために、そこでの「情報」は、あらかじめ強力にコントロールされているという特性をもつ。「コトバ」としては、きわめて一面的である宿命をもっているのが、この種の「情報」の常なのである。しかもそれは、ハイ・テクノロジーという高性能の巨大な情報生産装置によって、たえまなく私たちに向けて発信されるから、昨日の情報は今日のガラクタとならざるを得ない。
  海や川や山野や街頭に、使い捨てのビニールや壜や冷蔵庫が溢れかえる時代のあと、今や「情報」が次々に使い捨てられる時代が来た。それも無形の情報だけではない。厖大なコピー文書も、ヴィデオ・カセットも、便利しごくな全自動のカメラも、「情報」の一部分を形づくっているのである。そして人々は、便利第一主義社会の意外な重みを背中に感じながら疲労している。万事、妙に薄っぺらで一面的になってしまったことを感じながら、しかしより新しい情報には敏感に反応しつづけている。なぜなら、情報化社会の特徴は、より新しいものがすなわちより優れたもの、という信仰を普遍化した点にあるからだ。
  最近ある美術館関係者から聞いた話だが、アメリカからその人の館所蔵の絵を貸してくれという要請がきた。あちらでのある大きな展覧会に並べるためだが、その展覧会の名称に、《ニュー・ペインティング》というコトバが使われていたという。で、むこうから借用申し入れのあった絵は、十九世紀印象派の某画家の作品だったそうである。
  十九世紀の絵でも、本質的に優れているなら、今ふうに《ニュー・ペインティング》と銘打って展示したっていいではないか、人々はそこに現在必要な何ものかを新たに発見するだろう、という発想はなかなか面白いし、私も嫌ではない。しかし同時に、このエピソードは、現代社会がネーミング(命名)の流行する社会であり、「もの」よりは「イメージ」が先行する社会であることを、まことによく物語ってもいる。
  これがつまり情報化社会というものの、私たちとの関り方の一端である。コトバの一面化がここに露骨に現れている。「おもしろうてやがて哀しき」ことの多い世相も、そこから由来する。
大岡信、『ことのは草』、世界文化社、東京、1996より。
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