Annales de l'Agregation de Langue

et de Culture Japonaises

- SESSION 1998 -

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Texte hors programme.
Duree de l'epreuve : 4 heures. Coefficient 3. (Texte de MARUYAMA Masao.)

  この稿のはじめにまず「忠誠と反逆」という問題を扱う視角と対象を限定しておきたい。そうでないとこのテーマははてしなくふくれ上がって、収拾がつかなくなるおそれがあるからである。本巻(『近代日本思想史講座』第六巻「自我と環境」)は全体として近代日本における自我とそれをめぐる大小さまざまの社会的環境との間に行なわれる適応・対決・疎外などの諸関係が、思想的に明治以来どのように日本人に受けとめられて来たかを解明することを主な狙いにしている。したがって、この稿では忠誠も反逆もなにより自我を中心として、- 自我を超えた客観的原理、または自我の属する上級者・集団・制度など、にたいする自我のふるまいかた、として捉えられる。忠誠 loyalty の概念を拡張すれば、自我のそれ自らへの忠誠 - いわゆる自己にたいする忠実さというような意味も含めることが可能であるが、右の観点からしてそれは少なくも直接的な考察の対象にならない。また客観的原理あるいは集団との関係といっても、国家や社会体制を基礎づける思想、あるいは逆に反体制の方向へ動員する思想ないしは動向、をそれ自体として実質的に追って行く課題はむしろこの講座の「正統と異端」や「指導者と大衆」に譲られることになろう。この稿ではさまざまの性格をもった「正統的」あるいは「異端的」イデオロギーの歴史的展開は、どこまでも自我における忠誠対象の相剋・転移という次元で意識にのぼった限りにおいて取り扱ってゆくわけである。

  このように視角を限定すれば、本稿のテーマはおのずから三つの軸によってつらぬかれることになる。第一の軸は忠誠と反逆が、思考のカテゴリーもしくは枠組としてそもそも日本の思想史においてどのような意味と機能をはたして来たかということであり、第二の軸は忠誠または反逆の対象 - 何に対する忠誠、何からの反逆か - の転移と相剋の様相であり、第三の軸は、自覚した形で表明された忠誠と反逆の「哲学」ないしは「理論」の検討である*。

* もちろん、こういう軸を立てたからといって、実際の思想史資料がどれかのワクに専属的にはめられるわけのものではなく、たいていの資料は以上の二つ、または三つの問題点にまたがっている。したがって、本稿でも、右の軸を文字どおりの章節別として、その各々で歴史的経過をくりかえし辿るという形をとることは困難であり、むしろ叙述の体裁としては、時代的な順序を追いながら、あちこちにこの三つの視角からする照明をあてるよりほかない。歴史の豊かさを圧殺しないで問題史を書くことは総じて困難であるが、日本の近代史において、さなきだに乏しい反逆の資料を意識構造の次元ですくい上げてその歴史的連関を分析することは、私の手にあまる仕事である。ただ、最初にこういうふうに軸を整理しておけば、今後、読者が関連対象について問題を考える一つのメドとしての意味は持つであろう。それによって穴だらけの以下の叙述が填められてゆくことを期待したい。
  それと、もう一つ観点の問題としてここで付け加えておきたい。いうまでもなく、忠誠と反逆とは相互に反対概念 contraries をなすが、矛盾概念 contradictions ではない。忠誠ならざるもの必ずしも反逆者ではなく、反逆は不忠誠のある種の表現形態なのである。ただ集団もしくは原理の思想的凝集性がもともと強かったり、あるいは一定の状況 - たとえば政治的緊張の高度化 - の下で強まるほど、忠誠と反逆との間の広大な地帯は縮小して、不忠誠はただちに反逆を意味するものとなるだけのことである。しかしこのように反逆が不忠誠の極限形態であるために、一定の文化圏における忠誠のパターンの特質なり、個人の忠誠観なりは、そこで通用している反逆の定義によって、かえって鮮明に浮かび上がって来ることがまれではない。

  とくに個人の側から見て忠誠が人格の内面的緊張を鋭く惹起するのは、彼が多元的な忠誠の選択の前に立たされ、一方の原理・人格・集団への忠誠が、他方への反逆を意味するような場合である。以下の叙述において、一見忠誠よりも反逆に観察の力点をおく形になっているのは、このような根拠からである*。

* ただしこの稿で第一次集団としての「家」からの反逆の問題は意識的に除外した。それは家の問題が(『近代日本思想史講座』第六巻「自我と環境」)で別に独立のテーマとして扱われている、という全くの便宜上の理由にすぎない。
  丸山眞男 『忠誠と反逆 - 転形期日本の精神史的位相 -』、東京、筑摩書房、1992、5-7項。
 
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